第2話 要調査

特殊職《アゲイヌ》 聖剣と魔王編 奉仕型M男、異世界でアイテムと化す 特殊職《アゲイヌ》
聖剣と魔王編第2話 / 全22話 読むめやす 15分

ノクティア・グリムワールは、自分の体のことをほとんど知らない。

腹がへっていることに夕方まで気づかない。寒いことに、指が動かなくなってから気づく。眠いことには、本の上に額を落としてから気づく。二十四年のあいだ、彼女の体は頭を運ぶための入れ物でしかなかった。

姫騎士隊の魔導士で、王立学院を首席で出ている。黒紫の長い髪は腰までまっすぐに落ち、まぶたはいつも半分おりている。色が白く鼻すじが細く、黙って立っていれば人形のように整った顔だちをしていた。ローブのそで口と指先は、いつもインクで黒い。

隊の兵は彼女を「先生」と呼ぶ。

「先生、あしたの天気はどうです」

「昼すぎに雨。夕方にはやむ」

「先生、この草は食えますか」

「食べられる。ただし、ゆでて」

聞かれたことには短く正しく答える。聞かれないことは言わない。笑わないし、怒らない。兵たちは彼女をこわがってはいなかったが、どう話しかけていいのかは誰も分かっていなかった。

ノクティアのほうは、それで困っていなかった。人と話すより、本を読むほうがずっと楽だったからだ。

隊の荷車のうち一台は、ほろをかけた彼女の書庫になっている。本の箱が六つと、小さな書きもの机と、毛布が一枚。行軍のあいだノクティアはその中で本を読み、野営のあいだもその中で本を読んだ。食事は聖女のリリエルが運んでくる。運んでこなければ、食べるのを忘れた。

彼女の口調は誰に対しても同じだ。王の前でも兵の前でも、短く、平らで、愛想がない。

ただ、隊長のセレスティアにだけは、聞かれなくても報告に行く。

学院を出たばかりのころ、ノクティアの書いた論文を最後まで読んで、中身について質問をしてきた人は隊長がはじめてだった。王女が魔導の論文を読む。しかも、質問は的を射ていた。ノクティアはその日から、分かったことはまずこの人に話すと決めた。

「隊長。北の峠は、あさって雪。回り道をすすめる」

言い方は、兵に天気を教えるときと変わらない。

決めたことは変えない。それも彼女のくせだった。

*

ノクティアは何でも帳面につける。

天気。歩いた距離。食べたもの。隊の者の顔色。読んだ本のページ数。つける理由はとくにない。つけておくと、あとで何かが分かることがある。学者のくせだった。

王都を発って五日目の夜、彼女は書庫の荷車の中で、その帳面をめくっていた。

さがしていたのは頭痛の記録だった。ノクティアは三日に二日は頭が痛い。本の読みすぎだと学院の医者は言った。読むのをへらせば治ると言われたので、彼女は医者に行くのをやめた。

頭痛の日に印をつけていくと、別のものが目に入った。

隊長の欄だった。

「隊長、機嫌よし。顔色よし」

それが五日続いていた。その前のひと月を見返すと、「顔色ふつう」「やや疲れ」「目の下にくま」が並んでいる。隊長は眠りが浅い。それは隊の者ならみな知っていた。本人だけが、知られていないと思っている。

五日前に、何かが変わった。

ノクティアは五日前のページを開いた。自分の字で一行、足してある。

「荷の番。二日前から。関係は不明」

書いたことを忘れていた。

彼女はほろのすき間から外を見た。野営の火が三つ。隊長のテントはいちばん奥にある。そのわきの暗がりに、黒いかたまりが伏せていた。

見ていると、テントの入口の布が内がわから少しだけ開いた。隊長の声は聞こえない。黒いかたまりがひざで地面をすべるようにして中へ入っていき、布が閉じた。

テントの中には灯りがある。布に影がうつっていた。

机に向かう人の影と、その足もとの低く平らな影。人の影の足が、平らな影の上に乗っている。

ノクティアは、半分おりたまぶたを少しだけ上げた。

「……足置き」

つぶやいて、帳面に書いた。

「隊長、荷の番を足置きに使用。五日連続か。機嫌との関係、要調査」

書いてから、彼女はペンの尻をあごに当てた。

足を乗せるだけで機嫌がよくなる。眠れるようになる。そんなことがあるだろうか。足置きなら荷箱でもいい。隊長が荷箱に足を乗せて、機嫌がよくなったことはない。

なら、荷箱とあの男のちがいは何か。

分からないことがあると、ノクティアは眠れない。確かめるまで、ほかのことが手につかない。それも学者のくせだった。

*

次の日、隊は川の渡し場で半日止まった。

古い渡し舟は一そうしかなく、荷車を一台ずつ運ぶ。隊長は川岸に立って、舟の出し入れを指図していた。書庫の荷車は順番がいちばん最後だった。

ノクティアは荷車のほろから顔を出した。

「そこの、荷の番」

国田はとなりの荷車のわきにいた。呼ばれると、ひざをついて額を地面につけた。

ノクティアは眉を寄せた。

何かが胸のあたりで動いた。小さな、とげのようなものだった。彼女は、それが何なのかすぐには分からなかった。体のことにも気持ちのことにも、彼女はうとい。

「本の箱を、積み直す。上がって」

国田はうなずいて、ひざで進んで、荷車に上がってきた。

ほろの中はせまい。本の箱が両がわに三つずつ積んであり、まん中に、人が二人やっと座れるほどの床がある。国田はその床にまた伏せた。

ノクティアはいちばん低い箱に腰をおろして、国田を見おろした。

とげのようなものが大きくなった。

彼女は帳面を開いて、書いた。

「荷の番を前にすると、胸に不快。いらだちに近い。原因不明。私は、人にいらだつことがない。記録する」

書いてしまうと少し落ち着いた。気持ちも、字にすればただの記録になる。

「隊長と同じことをする。動かないで」

ノクティアは布のくつをはいたままの右足を、国田の背中に乗せた。

何も起きなかった。

背中はあたたかかった。息に合わせてゆっくり上下している。ほかには、何も起きなかった。魔力が動くわけでもない。頭痛が消えるわけでもない。

「……変化なし」

帳面に書いた。それから少し考えて、もう一行足した。

「ただし、不快は消えた。足を乗せたとたんに」

とげがなくなっていた。胸のあたりが平らになっている。ノクティアは、それをどう考えていいのか分からなかった。分からないので、保留にした。

舟の順番までは、まだ三時間ある。彼女は足を乗せたまま、きのうの続きの本を開いた。

読みはじめると、ほかのことは全部消える。足の下に人がいることも消えた。布のくつは、読んでいるうちにいつものくせで足から落ち、素足が国田の背中にじかに乗った。ノクティアは気づかなかった。

ページをめくる音だけがほろの中にあった。

舟の番が来て、兵がほろをたたいた。ノクティアは顔を上げた。足の下で国田がまだ伏せていた。三時間、同じ形のままだった。

彼女は足をおろした。足の裏があたたかかった。いつもなら、本を読んだあとの足は氷のように冷えている。

「おりて」

国田は小さくうなずいて、ひざで荷車をおりていった。

*

次の朝、ノクティアはいつもより早く目をさました。

頭が痛くなかった。

彼女は毛布の中で、しばらくじっとしていた。こめかみを指で押してみる。痛くない。目の奥も重くない。きのうは本を三時間、そのあとも夜まで読んでいた。いつもなら、次の朝は頭が割れるように痛むはずだった。

眠気もなかった。

ノクティアは起きあがって、机の上の本を開いた。古い字で書かれた魔導書で、学院の書庫から借りてきたものだ。ひと月かかって、まだ半分しか読めていない。とくに第七章の最初の一行が、どうしても読めなかった。字の形がほかの章とちがうのだ。

その一行に目を落とした。

最初の一語が読めた。

「伏す」という意味の、古い言葉だった。ひと月、にらみつづけて分からなかった字が、朝の光の中で、ふつうの字のように見えた。二語目からは、まだ読めない。けれど一語は、たしかに読めた。

ノクティアは帳面を開いた。手が少し速く動いた。

「頭痛なし。眠気なし。第七章、一語解読。前日とのちがいは、荷の番に三時間、足を乗せたことのみ」

ペンを止めた。

隊長は五日続けて機嫌がいい。五日続けて、あの男を足置きにしている。自分は一日やって、頭痛が消えた。

「関係あり、と仮定する」

書いて、線を引いた。

それから、ノクティアは考えた。隊長に報告するべきか。

隊長は、このことを誰にも言っていない。夜、人目をさけてテントの中でやっている。知られたくないのだ。知られたくないことを部下が知っていると告げるのは、礼を欠く。

それに、まだ仮定でしかない。一日では偶然かもしれない。確かめてから報告するのが、学者のやり方だった。

「隊長には、まだ報告しない。理由:確かでないため。試しを続ける」

そう書いた。筋は通っていた。

筋が通っていることと、それが本当の理由であることは別だった。ノクティアは、そのちがいにまだ気づいていなかった。

*

その夜、隊は街道ぞいの林で野営をした。

隊長は夜の見回りに出る。いつも半時ほどかかる。兵の一人ひとりに声をかけて回るからだ。そのあいだ、荷の番は隊長のテントのわきに伏せている。

ノクティアはほろから顔を出した。

「荷の番。箱が、くずれた。直して」

箱はくずれていなかった。ノクティアはうそをつくのが下手だった。けれど国田は何も聞かずにひざで進んできて、荷車に上がった。

ほろを閉じた。ランプの芯を少し上げた。

国田は床に額をつけて伏せている。ノクティアは低い箱に座った。胸のとげがまた出てきた。きのうより、はっきりしていた。

「試しをする。条件を変える。私が言うとおりに動いて」

国田はうなずいた。

「一番。きのうと同じ」

右足を乗せた。今度は、はじめから素足だった。とげが消えた。背中のあたたかさが足の裏から上がってくる。それを帳面につけた。

「二番。触れる広さを変える」

ノクティアは箱から立って、国田の背中に腰をおろした。椅子に座るのと同じように、横向きに座る。国田の背は少しも沈まなかった。

足を乗せたときよりあたたかい。触れているところが広いからだ。彼女はそれもつけた。

「三番。向きを変える」

横向きは座りにくかった。体がかたむく。ノクティアは一度立って、国田の背をまたいだ。馬に乗るのと同じ向きで腰をおろす。ローブのすそが左右に分かれ、ひざが国田のわき腹をはさむ形になった。

安定した。これなら、本が読める。

彼女は帳面を取ろうとして、手を止めた。

またいだところがあたたかかった。

足の裏より、ずっと。ローブの下は、うすい下ばき一枚だ。その布ごしに、国田の背中の熱がじかに伝わってくる。背骨のかたい線が、ちょうど脚のつけ根のまん中に当たっていた。

国田が息を吸った。背中がゆっくり上がった。

「……っ」

ノクティアの口から小さな音がもれた。

自分の声だと、すぐには分からなかった。

背中が下がって、また上がった。そのたびに、当たっているところがかすかにこすれる。そこから何かが腹の底へしみてくる。熱いような、くすぐったいような、じっとしていられないような感じだった。

彼女は動かなかった。動けなかった。

二十四年、こんな感じは知らなかった。本のどこにも書いていなかった。いや、書いてあったのかもしれない。読みとばしてきただけかもしれない。体のことが書いてあるページを、ノクティアはいつも読みとばしてきた。

帳面を引きよせた。字がゆがんだ。

「三番。またぐ形。下腹部に熱。原因、接しているところのこすれか。私の体の、どこが、こう感じるのか。不明」

不明と書いて、ノクティアはその二文字を見つめた。

分からないことがあると、眠れない。確かめるまで、ほかのことが手につかない。

彼女は国田の背からおりた。

*

ノクティアは低い箱に座り直した。

しばらく何も言わなかった。ランプの火が小さくゆれている。外で兵の笑い声がした。隊長の見回りは、まだ半分も終わっていないはずだった。

「四番」

声がいつもより低かった。

「私は、自分の体のどこが、さっきのように感じるのかを知りたい。背中では、当たるところが広すぎて、分からない。もっと小さくて、やわらかくて、動かせるもので、確かめる必要がある」

彼女は自分に言い聞かせるように、ひとつずつ言った。

「人の体で、それにいちばん合うのは、舌」

言ってから、ノクティアは自分の言ったことの意味を考えた。考えて、耳が少し熱くなった。けれど筋は通っていた。筋が通っていることを、彼女はやめられない。

「これは、試し。それ以外の意味は、ない」

国田は伏せたまま、うなずいた。

ノクティアは立って、ローブのすそを腰まで持ちあげた。うすい下ばきをひざまでおろし、片足ずつぬいた。すぐに座り直して、すそをおろした。手が少しふるえていた。寒いからではなかった。

白くて細い太ももが、ランプの光に出ていた。つけ根の毛は髪と同じ黒紫で、短くやわらかい。その下の割れ目は、ぴったり閉じている。彼女は自分のそこを、明るいところでちゃんと見たことがなかった。

「顔を上げて。正座。私の、ひざのあいだに」

国田は体を起こして正座になった。箱は低いので、国田が背すじをのばすと、顔がちょうど箱の縁の高さになる。ノクティアは箱に浅く座り直して、ひざを開いた。こぶし二つぶん。それ以上は開けなかった。

国田が首をのばした。

息が太ももの内がわに当たった。それだけで、ノクティアの背中がこわばった。

「……舐めて。ゆっくり。私が、止めてと言うまで」

舌が触れた。

閉じた割れ目の、いちばん下だった。そこから上へゆっくりなぞってくる。あたたかくて、ぬれていて、やわらかい。背中とはまるでちがった。

「あ」

声が出た。ノクティアは片手で口をおさえた。

もう一度、下から上へ。割れ目が少し開いた。舌がその内がわに入ってきて、うすいひだを右、左と順になぞる。

「待って。……いえ、止めないで。記録する。記録するから」

帳面をひざの横に引きよせて、ペンを取った。

「内がわ。ひだ。くすぐったい。熱い」

舌が上へ動いて、割れ目のいちばん上の、皮に包まれた小さなところに触れた。

ペンが紙の上で止まった。

そこだった。

さっき背骨が当たっていたのは、そこだった。豆つぶほどの小さなところ。舌の先が、そこを下から上へ短くはじいた。

ノクティアは声を出さなかった。出せなかった。息がのどの奥で止まり、目の前が白くなった。太ももがひとりでに閉じて、国田の頭をはさんだ。

舌は止まらなかった。止めてと言われていないからだ。同じところを、同じ強さで、何度も。

「そこ。……そこが。ここ、が」

ペンが指から落ちて、帳面の上をころがり、床に落ちた。彼女はひろわなかった。両手で箱の縁をつかんだ。インクで汚れた指が木に食いこんだ。

知らなかった。

自分の体にこんな場所があることを。こんな感じがしまってあったことを。二十四年、頭を運ぶ入れ物だと思っていたものの中に、こんなものが。

何かが腹の底からせり上がってきた。こわかった。けれど、止めてほしくなかった。知りたかった。この先に何があるのかを、どうしても。

それは長くかかって、来た。

ノクティアは箱の上で背中を丸めた。細い腰が何度もはねた。足の指が床の板をひっかいた。のどの奥から、聞いたことのない自分の声がひと声だけ出た。

「…………あ」

あふれたものが国田の口に流れた。国田は音を立てずに飲んだ。

しばらく、彼女は動かなかった。肩で息をしていた。半分おりていたまぶたが、いっぱいに開いている。紫色の大きな目だった。

やがて、ノクティアは太ももをゆるめた。

「……止めて」

舌が離れた。国田は正座のまま頭を下げた。

彼女は床のペンをひろって、帳面を開いた。書こうとして、手が止まった。何を書けばいいのか分からなかった。分かったことが多すぎた。

長いこと考えて、一行だけ書いた。

「四番。場所は、特定できた」

*

隊長の足音が遠くでした。見回りが終わったのだ。

ノクティアはあわてて下ばきをはき、ローブのすそを直して、髪を手でなでつけた。

「戻って。隊長のテントのわきに。このことは、誰にも言わないで」

国田は、小さくうなずいた。

言う口がこの男にあるのかどうか、彼女は考えなかった。男はひざで荷車をおりて、暗がりの中をすべっていった。

ノクティアはほろを閉じた。

机に向かって魔導書を開いたが、読めなかった。字は見えているのに頭に入ってこない。ひざのあいだがまだ熱かった。

彼女は本を閉じて、毛布にもぐった。こんなに早く横になるのは、学院に入ってからはじめてだった。

目を閉じるとすぐに眠った。夢も見なかった。

*

次の朝、頭痛はなかった。

ノクティアは起きてすぐに魔導書を開いた。第七章の最初の一行。きのうは一語だけ読めた。

三語読めた。

「伏す」「もの」「上げる」。あいだの語は、まだ読めない。けれど、ひと月で一語も読めなかった行が、二日で三語になった。

彼女は帳面にそれをつけた。それから、きのうの夜の一行を見た。

「四番。場所は、特定できた」

その下に書き足した。

「ただし、一度では確かとは言えない。同じ条件で、くり返す必要がある。今夜も行う。隊長の見回りのあいだに」

学者は一度の結果を信じない。くり返して確かめる。それは正しいやり方だった。

ノクティアはペンを置いた。

ほろのすき間から朝の野営が見えた。隊長が兵に声をかけながら歩いている。顔色がいい。六日続けて、いい。

隊長は足しか使っていない。たぶん。

自分は、足より先を知っている。

そう思ったとき、ノクティアの胸に、とげとは別のものが動いた。隊長の知らないことを、知っていて黙っている。それははじめてのことだった。うれしいのか、うしろめたいのか、彼女には分からなかった。

分からないので、帳面には書かなかった。

朝食を運んできたリリエルが、ほろの外から声をかけた。

「ノクティアさん。お食事ですわ。……あら」

聖女は盆を持ったまま、小首をかしげた。

「けさは、お顔の色がよろしいのね。何か、よいことでもございましたの」

ノクティアはパンを受け取った。

「別に。よく眠れただけ」

それは、王都を発つ前に、隊長が言ったのと同じ言葉だった。

リリエルはにっこりした。いつもの、誰にでも向けるほほえみだった。けれどその目は、ほろのすき間から隊長のテントのわきの暗がりを、ちらりと見ていた。

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© 国田くにお 無断転載・無断翻訳を禁じます。原文:cunni.blog

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