第4話 ケツでもなめてろ

特殊職《アゲイヌ》 聖剣と魔王編 奉仕型M男、異世界でアイテムと化す 特殊職《アゲイヌ》
聖剣と魔王編第4話 / 全22話 読むめやす 15分

ジル・ラットテイルは、口が悪い。

「どけよ、でくのぼう。そこはあたしの席だ」

「うるせえな。てめえの足のにおいで鼻が曲がるんだよ」

「ケツでもなめてろ、ばーか」

朝の食堂でも、行軍の列でも、夜のたき火の前でも、彼女の口からは下町の言葉がぽんぽん飛び出す。兵たちはそれを笑って聞いている。赤茶色の髪を耳の下で短く切り、笑うと右の八重歯がのぞく。そでのない革の胴着に、短い革のズボン。小柄ですばしこくて、隊でいちばん年が若い。二十一の盗賊は、百と八人の兵にとって口の悪い妹のようなものだった。

隊での役目は斥候だ。本隊より半時先を走って、道と水場とあやしい影を見てくる。足が速く、目がよく、木にも塀にも猫のように登る。腕は確かだった。

ただし、えらくはない。

「ジル、ついでにこの手紙、先の村に届けてくれ」

「ジル、水をくんできて」

「ジル、あの枝の上の旗、取ってくれよ」

誰もが気軽に用を言いつける。いちばん若くて、いちばん新しくて、いちばん身が軽いからだ。ジルは「自分でやれよ」と悪態をつきながら、結局は走っていく。走っていくのが、子どものころからのくせになっていた。

王都の下町の盗賊団でも、彼女はいちばん下っぱだった。見張り、使い走り、逃げ道の下見。分け前はいつも最後で、いちばん少ない。文句を言えば頭をはたかれた。

隊に入って、頭をはたかれることはなくなった。飯も腹いっぱい食える。それでも、いちばん下であることは変わらなかった。

ジルは、誰かに命令をしたことが一度もない。

*

もうひとつ、兵たちの知らないことがある。

ジルは口でいうほどすれていない。

たき火の前で兵が女の話をはじめると、彼女はまっ先に下品な冗談を言って、いちばん大きな声で笑う。そうしていれば、誰も彼女に話をふってこないからだ。

本当のところ、ジルは男と手をつないだこともなかった。盗賊団にいたころは子どもあつかいで、相手にされなかった。隊に来てからは妹あつかいで、やはり相手にされない。口が悪いので、近よってくる男もいない。

知っているのは、下町で耳にした言葉だけだった。意味の半分は分かっていない。分かっていないことを、分かっているような顔で言う。それも下っぱが身につけたわざのひとつだった。

*

夜の見張りはジルの持ち場だ。

野営のはしの、いちばん高い木か岩の上に登って、朝まで目を開けている。盗賊は夜に強い。それに、彼女は見張りがきらいではなかった。誰にも用を言いつけられない、一日でただひとつの時間だからだ。

ひまなので、野営の中をながめる。

王都を発って七日のあいだに、ジルはおかしなことを三つ見ていた。

日がくれると、荷の番が隊長のテントに入る。隊長が夜の見回りに出ると、今度は先生の荷車に入る。ゆうべは、みなが寝しずまってから、聖女サマの天幕にまで入っていった。

荷の番というのは、召喚の儀で鏡に「犬」と出て、聖堂じゅうに笑われた、あのさえない男だ。水だると麦袋のあいだに座っていて、誰とも口をきかない。女が通ると、ひざをついて額を地面につける。ジルが通っても、そうした。

はじめて伏せられたとき、ジルは足を止めた。

「……なんだよ、こいつ」

胸のあたりがむずむずした。腹が立つというのとは少しちがう。けれど、それに近い。何か言ってやりたい。何かしてやりたい。そういう感じだった。

そのときは、舌うちをして通りすぎた。

隊でいちばんまじめな三人が、そろってあの男を夜中に呼びつけている。そして次の朝、三人ともきまって顔色がいい。

八日目の夜、ジルはがまんができなくなった。

*

聖女サマの天幕は、野営のはしにある。

ジルは木からおりて、影から影へ音を立てずに近づいた。盗賊の足は落ち葉の上でも鳴らない。天幕の布のつぎ目に、指一本ぶんのすき間があった。そこに片目を当てた。

ろうそくが一本ともっていた。

聖女サマは木の椅子に座っていた。目を閉じて手を組んでいる。祈っているように見えた。

ちがった。

法衣のすそがひざの上までたくし上がり、白いひざが左右に開いている。そのあいだに黒い髪の頭があった。頭が小さく動いている。

聖女サマのくちびるが開いた。

「あ……」

ジルはのどの奥で息を止めた。

聞いたことのない声だった。朝の祝福のときのあのやさしい声と、同じのどから出ているとは思えなかった。聖女サマのほおは赤く、眉は寄り、白い足の指が地面の上で丸まっている。

「そこ。……もう少し、そのまま。わたくしの、ために」

頭が動く。ぬれた小さな音がする。

ジルはすき間から目をはなした。

顔が熱かった。耳まで熱かった。心ぞうがのどのところで鳴っている。彼女は口を手でおさえて、四つんばいで天幕からはなれた。木の根もとまで戻って、幹に背中をつけて座りこんだ。

「…………うそだろ」

小さな声が出た。

下町の言葉なら知っている。兵と言い合う冗談にも出てくる。けれど、本当に目で見たのははじめてだった。それも、あの聖女サマが。

ジルは自分のひざを抱えた。

見てはいけないものを見た。そう思った。それなのに、頭の中ではさっきの声がくり返し鳴っていた。聖女サマのあの顔。気持ちよさそうだった。泣いているのに、気持ちよさそうだった。

ひざの上で、指がもぞもぞ動いた。

朝まで、彼女は木に登らなかった。見張りをはじめてさぼった。

*

次の日、ジルは一日、口数が少なかった。

斥候に出ても、石を二度けつまずいた。兵に「どうした、腹でもこわしたか」と聞かれて「うるせえ」と返したが、声に力がなかった。

昼の休みに荷車のわきを通ると、荷の番が伏せた。

胸のむずむずがまた出てきた。きのうまでより、ずっと強かった。

ジルは立ち止まって、国田の後頭部を見おろした。

隊長が、先生が、聖女サマが、この頭を夜中に呼んでいる。そして、いい顔になっている。

あたしは、ただ見てるだけ。木の上から。いつものように。

「……ずりいよな」

つぶやいて、歩きだした。

その夜、彼女は腹を決めた。

*

聖女サマの天幕から荷の番が出てきたのは、夜ふけだった。

ひざですべって、隊長のテントのわきへ戻っていく。その途中で、ジルは木の上から小石をひとつ、国田の前に落とした。

国田が止まった。

ジルは木からとびおりた。国田はすぐに伏せた。

「おい」

声が少しかすれた。せきばらいをして、言い直した。

「おい、荷の番。こっち来い」

国田はうなずいて、ひざで進んで、ついてきた。

ジルは、野営から少しはなれた岩かげまで歩いた。大きな岩が三つ並んで、たき火の明かりがとどかない。月だけが出ている。足もとに太い倒木がころがっていた。

彼女は倒木の前でふり返った。国田は三歩後ろで伏せていた。

来いと言ったら、来た。

それだけのことが、ジルにはふしぎだった。彼女が「来い」と言ってついてきた者は、いままで一人もいない。犬だって、盗賊団の犬は彼女をばかにして言うことを聞かなかった。

「……立て」

国田は立った。

「座れ」

座った。正座だった。

「伏せ」

伏せた。

ジルは口を開けてそれを見ていた。それから、腹の底から笑いがこみ上げてきた。

「は。……はは。なんだよ。あたしの言うこと、聞くじゃん」

声をおさえて、肩をふるわせて笑った。たったそれだけのことが、こんなにおかしくて、こんなに気分がいいとは思わなかった。

彼女は国田の肩をくつの先で小突いた。国田は少しゆれて、もとに戻った。もう一度小突いた。同じだった。

胸のむずむずがすっと消えた。

「へえ。……こうすりゃ、おさまるのか」

ジルは倒木に腰をおろして、足を組んだ。月の光で、八重歯が白く光った。誰かの上に座っている気分だった。

*

しばらく、ジルは国田を見おろしていた。

立て、座れ、伏せ。それを五回くり返させて、あきてきた。

聖女サマの顔が頭に浮かんだ。

あれを、やらせるのか。あたしが。

そう思ったとたんに顔が熱くなって、足を組みかえた。岩かげには誰もいない。月と、この男だけだ。この男は、何をさせても、うなずくだけだ。たぶん、誰にも言わない。言う口があるなら、聖女サマのことだって、とっくに隊じゅうに広まっている。

「……おい」

声が小さくなった。

「聖女サマに、何してた。ゆうべ」

国田は答えなかった。うなずくだけでは、答えようのない問いだったからだろう。ジルは舌うちをした。

「言わなくていい。見たから、知ってる。……同じこと、あたしにもやれ」

国田は、小さくうなずいた。

言ってしまった。

ジルは立ち上がって、腰ひもに手をかけた。指がうまく動かなかった。ひもをほどくのに、ずいぶんかかった。革のズボンを下着ごとひざまでおろす。夜の空気が、はだかの腰に冷たかった。

倒木に座り直した。木の皮がしりにざらざらした。ズボンがひざにからんで足が開かないので、片足だけぬいた。

ひざを少し開いた。

「……見んなよ」

見るなと言っても、国田はもともと顔を上げていなかった。伏せたままひざで進んできて、正座になる。倒木は低いので、国田が首をのばすと、ちょうど顔がジルのひざのあいだに来た。

息が当たった。

「ひゃ」

ジルはひざを閉じかけた。国田の頭がはさまった。

「ま、待て。……いや、待つな。やれ」

舌が触れた。

「うひっ」

変な声が出た。

くすぐったかった。あたたかくて、ぬるぬるして、とにかくくすぐったい。ジルは倒木の上で身をよじった。腹の筋がひくひく動く。

「ちょ、ちょっと。くすぐってえ。あは、やめ、あははは」

笑いが止まらなかった。舌が動くたびに、わき腹をくすぐられているような感じがする。気持ちいいのかどうか分からない。分かる前に笑ってしまう。

舌が上のほうへ動いた。そこに触れたとき、少しだけちがう感じがして、ぞくっとした。

けれど、それもすぐにくすぐったさにまぎれた。

「あは、だめだ、むり。むりむり。はなれろ」

ジルは国田の頭を両手で押しのけた。国田はすぐにはなれて、伏せた。

彼女は倒木の上で肩で息をしていた。笑いすぎて、目に涙がにじんでいる。

「……なんだよ。こんなもんかよ」

息がおさまると、ジルは口をとがらせた。

「聖女サマ、これで泣いてたのか。分かんねえ。あたしには、くすぐってえだけだ」

がっかりした。それと同時に、少しほっとしてもいた。あの聖女サマと同じ顔に自分がなるところは、どうにも思いうかばなかったからだ。

*

ジルは立ち上がった。

倒木に手をついて、片足をズボンにつっこむ。かがんだので、はだかのしりが後ろにつき出る形になった。国田はその後ろで伏せている。

ズボンが足首で引っかかった。

「ちっ。……ああもう」

いらいらした。期待して、はずれた。ばからしい。見張りまでさぼって、何をやっているのか。

彼女はズボンと格闘しながら、後ろに向かって悪態をついた。兵と言い合うときの、いつもの言葉だった。考えて言ったのではなかった。

「もういい。おまえなんか、ケツでもなめてろ」

返事はなかった。

かわりに、すぐ後ろで、ひざで地面をする音がした。ジルがふり向くより先に、しりの谷間にあたたかい息が当たった。

「は? ちょ、おまえ、なに」

舌が触れた。

しりの穴に、じかに。

「ひっ」

ジルの体がかたまった。

片足はズボンの中、片足は外。両手は倒木について、腰はかがんだまま。動けなかった。

くすぐったくはなかった。

舌の先が、すぼまったところを下から上へゆっくりなぞった。ひとなでで、背骨の下から首の後ろまで何かがかけ上がった。ひざの力がぬけた。

「……え」

もう一度なぞられた。

「あ」

声が変わっていた。さっきの「うひっ」とはまるでちがう。低くて、のどの奥から出る声だった。

「ちが、いまのは、言葉のあやで。本当になめろって意味じゃ」

言いかけて、ジルは口をつぐんだ。

舌が、しわの一本一本をたどるように円をかいた。汗と一日ぶんのよごれが、そこにはあるはずだった。斥候は一日じゅう走る。川で洗ったのはおとといだ。

それを、この男はためらいもなく舐めている。

「……きたねえぞ、そこ」

小さな声で言った。国田はやめなかった。やめろとは言われていないからだ。

舌がまん中を、とん、とつついた。

「んっ」

ジルの指が倒木の皮に食いこんだ。

前とはぜんぜんちがった。くすぐったくない。笑えない。かわりに、腹の底がじんとする。腰の奥がとけるように熱い。何が起きているのか分からなかった。分からないまま、しりがひとりでに後ろへ出ていった。

「なんだよ、これ。……なんで、こっちのほうが」

舌が平たくなって、穴をまるごとおおった。そのまま小さく上下に動く。

ジルは倒木に額をつけた。

「あ、あ。……やば。それ、やばい」

足がふるえた。外に出ていたほうの足を、もっと奥までとどくように、ひとりでに横へ開いていた。国田の鼻が谷間にうまる。舌の先が、少しだけ中に入ってきた。

「うあ……っ」

月が岩の上にあった。野営のたき火は遠い。誰も見ていない。

ジルは口を腕でふさいだ。それでも声がもれた。兵と冗談を言い合うときの声ではない。聞いたことのない、自分の声だった。

ゆうべ聖女サマが出していたのと、同じ種類の声だった。

長いこと、舌は動いていた。ジルは何度かやめさせようとした。そのたびに「あと少し」と思って、言わなかった。

やがて、腰の奥の熱がぎゅっとちぢんで、はじけた。

「……っ、あ、ああ……っ」

ひざが折れた。ジルは倒木にしがみついたまま、地面にしゃがみこんだ。背中がひくひくとふるえている。前には一度もさわられていなかった。それなのに、太ももの内がわがぬれていた。

国田は舌をはなして伏せた。

ジルはしばらく動けなかった。

*

息がおさまって、ジルはのろのろとズボンを上げた。

腰ひもを結ぶ指がまだふるえている。顔は、月の下でも分かるほど赤かった。

彼女は伏せた国田を見おろして、何か言おうとした。口の悪い彼女が、言葉をさがしていた。

「……いまのは、あれだ。その」

見つからなかった。

「言うなよ。誰にも」

国田はうなずいた。

「言ったら、蹴る」

国田は、小さくうなずいた。

ジルはくつの先で国田のわき腹を小突いた。さっきより少し弱かった。

「……あしたの晩も、来い。ここに」

言ってから、口をへの字にした。

「前は、もういい。合わねえ。……後ろだけ、やれ」

国田はうなずいて、ひざで岩かげを出ていった。

ジルは倒木に座ろうとして、やめた。しりがまだじんじんしていた。立ったまま岩にもたれて、月を見あげた。

隊長と、先生と、聖女サマは、たぶん前を使っている。聖女サマは、たしかにそうだった。

後ろは、あたしだけだ。

そう思うと、口のはしが上がった。誰も知らないやり方を、いちばん下っぱの自分がいちばん先に見つけた。それは、盗みでいちばんいい獲物を取ったときより、ずっといい気分だった。

*

次の日、ジルは一度もけつまずかなかった。

斥候に出ると、足が地面をけるたびに体が前へ飛ぶ。いつもより半時早く、先の村まで行って帰ってきた。道のわきの草むらで、誰かが落とした銀貨を一枚ひろった。

夜のたき火で、兵たちとさいころをふった。

ジルはばくちに弱い。下町のころから負けてばかりだ。隊に来てからも、給金の半分は兵のふところに消えている。

その夜は、五回ふって、四回勝った。

「おいおい、どうした、ジル。いかさまか」

「うるせえ。たまたまだよ」

たまたまだと、ジルも思った。銅貨が十二枚ふところに入った。

次の夜も、岩かげに国田を呼んだ。その次の日も斥候は速く、さいころは七回のうち五回勝った。

三日目に、彼女は気づいた。

頭のいい先生なら、帳面を見くらべて考えるところだ。ジルはそんな面倒なことはしない。勝った日と負けた日を、指で数えただけだった。

「……あれをやった次の日は、勝つ」

損と得には鼻がきく。それが、下町で生きのびてきた者のただひとつのとりえだった。

だから隊長も先生も聖女サマも、やっているのか。

ジルは、たき火の向こうの三人を順に見た。隊長は兵と笑って話している。先生は本を読んでいる。聖女サマはほほえんでスープを飲んでいる。三人とも、何も知らないという顔をしていた。たがいのことも、たぶん知らない。

知っているのは、木の上から全部見ていた、あたしだけだ。

ジルはにやりとした。それから、その笑いを引っこめた。

黙っていよう、と思った。言えば弱みをにぎったことにはなる。けれど、言ったら最後、あの岩かげの時間もなくなるかもしれない。隊長に取りあげられたら、おしまいだ。

「勝つためだ」

小さく口に出した。

「勝つために、やってんだ。あたしは。……それだけだ」

さいころをにぎりしめた。

*

たき火のはしで、帳簿を開いている女がいた。

くり色の巻き髪に、細い金のふちのめがね。隊の金と荷をあずかる、商人のマルグリットだった。彼女は羽ペンを動かしながら、ときどきめがねの奥の目を上げた。

「ジルさん。今夜も、お勝ちになりましたのね」

おだやかな声だった。

「三日で、銅貨が三十一枚。あなたがこの隊にいらしてから、勝ち越したのは、はじめてですわ」

「……数えてんのかよ」

「帳簿をつけるのが、仕事ですもの」

マルグリットはにっこりした。それから、帳簿のページを一枚めくった。

そこには、隊の荷がひとつずつ書いてある。麦が何袋、干し肉が何きん、馬が何頭。そのいちばん下に、小さな字で一行あった。

「召喚者・一。荷の番」

値を書く欄は空いたままだった。

マルグリットはペンの先で、その空いた欄をとん、とたたいた。たき火の向こうの荷車のわきに、黒いかたまりが伏せている。彼女の目が、それを頭の先から足の先まで、ゆっくりなぞった。

机がわりの荷箱の下で、彼女のくつの先がぴくりと動いた。

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© 国田くにお 無断転載・無断翻訳を禁じます。原文:cunni.blog

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